別に、コイツと瑠駆真との関係になんて、興味もない。
言い聞かせ、陽翔の言葉など聞こえなかったかのような素振りで自分の席へ向かう。そんな美鶴へ、陽翔は笑みを浮かべたままさらに声を掛ける。
「ずいぶんと遅かったな。何か問題でもあったのか?」
静かな夕暮れの教室。冷えた空気がピンッと張り詰め、何かが動けば敏感に揺れるような静寂。その場には、二人しかいない。
無視をすれば逆に変な言いがかりでもつけられかねないな。
小さくため息をつき、美鶴はチラリと視線だけで応対してやった。
そんな相手に、陽翔は口元を緩める。まったく機嫌など損ねてはいない。むしろぶっきらぼうな美鶴の仕草を楽しんでいるかのようでもある。
美鶴は、その笑顔が逆に怖いと思った。人殺しと叫びながら瑠駆真へ詰め寄っていた気迫を思い出す。
読めない相手だな。
不信感から何も答える事のできない美鶴に、陽翔はさらにたたみかける。
「君くらいの生徒なら、進路なんて決まったようなものだろう?」
進路、という言葉に、美鶴の肩が微かに揺れる。直前までの、担任と交わしてきた会話を思い出す。
進路。二年生のこの時期になれば、出てきて当然の言葉だ。むしろ今までほとんどこのような類の話題が上らなかった事の方が不思議だ。
二年に進級する時に文理の選択はあったが、具体的な進路について言及されることはなかった。進学校としては、少しのんびりとはしていないだろうか?
進路指導の案内プリントが配られた時、美鶴は首を捻り、呆れもした。だが、それは担任からの話を聞くまで。
「まぁもっとも、ウチの学校で進路に悩む輩はそれほどいないだろうね。悩み事が少なくて済むというのは喜ばしい事だ」
陽翔の言葉を複雑な気持ちで聞きながら、美鶴は自席で帰り支度を始める。もう冬だ。暮れ始めればすぐに闇が来る。
椅子の背に掛けていた、あちこち解れてくたびれた上着を荒っぽく羽織る。その裾を、小さく摘まれた。
いつの間にか、陽翔がそばまで寄ってきていた。
向かい合う。
夕日はすでに藍色を帯び、一刻ごとにその視界が狭くなる。だが、美鶴にはハッキリと相手の顔が見えた。正確には、その瞳。
揺るぎなく自分へ据えられたその瞳から、美鶴は不覚にも逃れられなくなった。
「何だ?」
堪らず美鶴が唸るような声をあげる。
「何か用か?」
曖昧な笑みを浮かべる相手。上着の裾を掴んだまま、もう片方はズボンのポケットへ。
「そう噛みつくなよ」
宥めるように瞳を細める。
「せっかく待ってたんだからさ」
「待ってた? 私を?」
「あぁ そうだ」
「何か用か?」
美鶴には心当たりなどない。
訝しむ女子生徒の視線に、陽翔はオドケたように肩を竦めた。
「お前、山脇をどうするつもりだ?」
それまでの、進路がどうのといった話題とはあまりにかけ離れすぎている。美鶴は一瞬言葉に詰まった。あまりにかけ離れすぎているし、あまりに直球過ぎる。
「山脇?」
何とかそう答える。
「山脇瑠駆真だ」
「知っている」
今度は即答する。
「瑠駆真が何だ?」
「あいつはお前の事が好きだ」
なぜだか、陽翔の瞳から感情が消えたかのように思えた。
「お前はどうだ?」
「ど、どうって」
ズバリと聞かれ、返答に窮する。美鶴が想いを寄せるのは瑠駆真ではない。だから答えは明確だ。だが美鶴は、答える事ができなかった。
揺るぎのない相手の視線が、なぜだか虚ろに感じられ、不安が胸に広がる。
「なぜそんな事を答えなければならない?」
務めて不機嫌そうに言い返し、上着を引っ張る。意外にも、引っ張り返された。
答えろ。
虚空を漂う視線が、まるでこの世のものではないかのようだ。
「聞いているのはこちらなんだ。答えてくれないか?」
「だから、なぜそんな事をお前に答えなくちゃならないんだ?」
「聞きたいからだ」
「じゃあ、答えたくない」
さらに闇が迫る。
「答えたくないから、答えない」
もうすぐ見回りの警備員がやってくる。見つかれば追い出されるだろう。
このような問答は、時間がくればお開きだ。
そう言いたげな視線に、陽翔がフッと笑みを漏らす。
「じゃあ、質問を変えよう」
不信感丸出しの視線を投げてくる相手に、陽翔は首を傾げる。
「見たところ、君は山脇にはさほど興味を持ってはいないようだが、どうだ?」
間違いではない。だが、相手の意図が読めないだけに、答えるだけの勇気が持てない。
やはり無言を返してくる美鶴に、陽翔はそっと顔を寄せた。
「正直、鬱陶しいとすら思っているんじゃないのか?」
「そ、そんな事は」
思っていないワケではない。いい加減にして欲しいと思った事は何度もある。それは瑠駆真に限らず聡も同じだ。
だが、それでも素直にそうだと肯定できない相手に、奥二重の瞳が笑った。
「あぁ、別に君を冷たい人間だとかって非難するつもりはないから、安心して」
数多の女子生徒たちを魅了する美しい笑顔を浮かべながら、陽翔はさらに顔を寄せる。そうして、逃げようと仰け反る美鶴の上着をツイッと引っ張り、そっと囁くように呟いた。
「むしろ、俺は君の味方だと思うよ」
「味方?」
不本意ながら聞き返してしまう。
「味方って、アンタが? 私の?」
「そうだよ、味方。少なくとも利害は一致していると思う」
「利害?」
「そう、利害。山脇の存在によって平穏を乱され、彼を遠ざければ問題は幾許かは解決する。君も、そして俺も」
闇が流れる。
「大迫、俺と手を組まないか?」
東の空に、月が昇る。
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